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2018-09-06
みなさん「海士町(あまちょう)」ってご存知ですか?平成20年度には財政再建団体になると予測され存続の危機に直面していた町です。そんな窮地に追い込まれた状況から教育・産業・観光など様々な分野で改革を起こし、海士町内外からの人の力・アイディアを吸収し、魅力を創り続け、地方創生を実現した町でもあります。今回お邪魔することになったのは、改革を実行した山内道雄前町長が2年前に秋田にいらっしゃって講演をお聞きしたことがきっかけです。改めて、取り組みの状況を勉強させていただくと共に、現在の状況もお聞きしたいと思います。そんな海士町はさまざまなメディアでも取り上げられており、LIFE編集部でも秋田の魅力づくりのヒントをつかめればという思いで行ってきました!
海士町は、中国地方の本州西部の日本海沿岸部に位置する島根県の北約60キロにある隠岐諸島の一つの島です。決してアクセスが良いわけではなく、7時に秋田空港を出発→羽田空港→鳥取米子空港→境港→海士町、飛行機とフェリーを乗り継いで海士町に到着したのが17時。約10時間かけての移動となりました。正直「これはすごい遠いとこにきてしまった・・・」という印象でした。
出典:https://www.oki-maekawa.com/
人口は約2,300人。うち1割の約230名が町外からの移住者だということが驚きです。いったい、どんな取り組みを行ってきたのでしょうか?
今回、海士町をご案内いただくは、秋元 悠史(あきもと ゆうし)さん(株式会社ウェブインパクト五城目コアリーダー)。
【秋元悠史さんプロフィール】2009年東京のIT企業へ就職、2010~2016年3月 島根県の離島「海土町」に移住。「高校魅力化プロジェクト」のスタッフを勤める。2016年4月秋田県にUターン、2016年8月~・株式会社ウェブインパクト 五城目コアリーダー、おこめつ部 運営事務局を務める。
秋元さんはプロフィールにも書かせていただきましたが、2010〜2016年に海士町に移住し、改革の一つのプロジェクト「高校魅力化プロジェクト」のメンバーの一人として活躍されていた方です。写真も海士町時代の秋元さん。
財政破綻の危機から全国の熱視線を集める魅力ある地域づくりの先駆者となった海士町の島づくりについて秋元さんコーディネイトの元、色々とお話を伺ってきました。
民間出身の山内前町長。町長時代は、自らを中小企業の社長と位置づけ、毎週「経営会議」を実施し、海士町という企業の価値を高めるには具体的に何ができるかを考え、実践されていきました。役場というものは「住民サービス総合株式会社」。町長は社長、副町長は専務、管理職は取締役、職員は社員。住民のみなさんは、税金を払う株主であって、住民サービスを受ける一番大切なお客様であるということを念頭において取り組むように役場のみなさんに周知徹底し、まずは意識改革からスタート。
『ないものはない』という言葉は、(1)無くてもよい、(2)大事なことはすべてここにある、という2つの意味を併せ持つコピーだそう。
海士町は離島なので、都会のように便利な町でもなければモノも豊富とは言えません。その一方で、都会には無い自然や食べ物、資源などの郷土の恵みはたくさんあります。日常生活していくために必要なものは充分にあるし、今あるモノの良さを上手に活かしていく。こういう意味が込められています。このスローガンには、「地域の人どうしの繋がりの大切さ」「シンプルでも満ち足りた暮らしを営むことが真の幸せ」という生活を営む上での本質たるものを投げかけられているのです。深い!
山内前町長が改革で大切にしたのが「人づくり・モノづくり・健康づくり」の3つの柱。内容は、公共事業依存から脱却することと、島の特産を売って外貨を稼ぎ、島に人を増やすこと。同時に海士町の活性化には「よそ者」「若者」が必要だと考えられていました。
2004年に山内前町長は思い切った決断をしました。「自立促進プラン」として、自らの給与を50%カットを宣言。浮いた経費を利用して農業・漁業を柱にした産業振興や移住促進に使うなど未来への投資へ使用することに。そうしたところ、職員自ら30%の給与カット、地元の老人からバス運賃半額の優遇措置中止、ある団体からは補助金辞退などの申し出があったのだそうです。そういった行動から生み出されたお金は、子育て支援や、教育、町の魅力アップのための資金に使われました。
その取り組みが斬新です。商品開発研修生を全国から募集したのです。募集内容はこちら「この島の宝探しをしてください。一年間の成果をレポートで提出してください。やり方はあなたの自由です。月15万円支給します。」といったような事です。本当に斬新過ぎます!自治体でこんな事発信できるなんて本当に柔軟です。全国に募集した理由としては、「海士町にいたら、当たり前のことでも、他の地域から見ると、とても価値のあるものに見えることがあります。それをみつけて、商品化し、ブランド化し、人をよぶ、そのような展開にできたら」というものです。
町の支援策の一つとして、「Iターンのための定住対策(H16-29年)」を実施し、移住者向けの住居整備も行いました。
出典:https://www.youtube.com/watch?v=vwkZL-FdF8o
体験住宅22戸、定住住宅の新築59戸、空き家リニューアル等49戸、公営住宅8戸、看護師住宅3戸、合計141戸を緊急整備し、町の受け口をしっかりと用意してあげています。
魅力あるアイディアを集めるには、魅力ある募集が無ければ・・・確かにその通りです。自由に任せてくれるからこそ、アイディアが生まれるし、楽しさも創造できると思いました。そして、「この島の宝探しをしてください」というキーワードにグッと惹きつけられた方も多いのではないでしょうか?そうなんです、この斬新な改革こそが、「若者=よそ者」が海士町に移住するきっかけとなり、海士町の魅力を見つけ、ブランディングしてくれることに繋がっていきます。魅力を創出すると、さらなる「よそ者」が海士町を訪れることに。一瞬、「ハッ!」としました。自分のその一人になっていると・・・
そんな改革の骨子から生まれてきたのが海士町にはたくさんあります。ここではごく一部を紹介します。
出典:http://okiwebshop.com/products/detail.php?product_id=593
島の周りはさざえがたくさん獲れるそうで、海士では当たり前に食べられていた『さざえカレー』。「よそ者視点」で生まれた第1号の海士町特産品。地元産の野菜と21種類のスパイスから作られたカレールーに、さざえの肝をすり潰してつくった「サザエバター」が加えられていて絶品。
ふくぎ茶は、さわやかな香りが特徴なハーブティー。海士町では山に自生するふくぎを取ってきて昔からお茶として飲む習慣がありました。そのお茶をおいしい「島のハーブティ」として商品化。製造は町役場敷地内にある『NPO法人だんだん さくらの家(就労継続支援B型事業所)』。このふくぎ茶も外から移住してきた人が商品化へ。
出典:http://www.town.ama.shimane.jp/tokusan.html#fukugi
名水「天川の水」が流れ込む清らかな海水を使い、伝統的な手仕事で丹念に作られる天然塩です。ミネラル分が豊富な海水を、風で水分を蒸発させて高濃度に濃縮。釜を使って8時間以上も焚き続け、天日干しでゆっくりと乾燥。全工程にはおよそ1〜2ヶ月かかると言われています。山陰はもとより、東京の有名ホテルでも取り扱いが広がり、海士町のの集落やグループが海人乃塩をを使用した「梅干し」「塩から」「干しナマコ」をはじめとした乾物の産品が生まれた。また、料理研究家が移住して食育を展開。島の食文化が見直されたりとコミニティの活性化に繋がっている。
出典:http://www.town.ama.shimane.jp/tokusan.
高品質なブランド幻の黒毛和牛。潮風が吹き渡る恵まれた自然環境の中、ミネラル豊富な牧草や地元飼料によって一貫した飼育が行われており、その安全性と美味、肉質の良さは折り紙つきです。島内では年間約1200頭の牛が生まれますが、『隠岐牛』として徹底した管理のもとで飼育され市場に出回るのはその1割程度。隠岐牛は昔は子牛のみが生産され、本土の肥育業者が購入し、神戸牛や松坂牛となって市場に出ていたのを、隠岐牛として繁殖から肥育まで一貫して生産することでブランド化に成功。隠岐牛をブランド化したのは、地元建設業者。公共事業の縮小に伴い新たな事業として展開したというから驚き。こちらもブランド化とともに、都会からIターン3家族が海士町に移住。
出典:http://www.town.ama.shimane.jp/tokusan.
隠岐・海士町の清浄な海域と日本名水「天川の水」が注ぐ海士町の清浄な海域で3年かけて育ったブランド岩がき。芳醇で爽やかな甘味と食感は春香ならではの味。日本で最初に岩がきの養殖に成功したのがこの海士町。この岩がきの養殖に成功したのは、水産業とは全く縁のない脱サラのIターン者が挑戦し、既成概念を取っ払った所に成功の秘訣があったそう。この仕掛け人は、取引単価の高い築地市場への出荷や、より手取りをあげるために直販店への売り込みや消費者への直接販売を行い所得向上に成功しています。岩がきの養殖の取り組みに注目し、新規漁業就業者制度を利用して都会からIターン7名が海士町に移住したそう。
出典: http://www.shimakazelife.com/ca74/164/
CAS(キャス)とは特殊な凍結技術のことで、Cells Alive System(セルズ・アライブ・システム)の略。磁場エネルギーで細胞を振動させ、細胞を壊すことなく生きたままのような状態で凍結保存できる画期的なシステムです。CASで凍結させた冷凍品は解凍しても味が落ちず、長期間にわたって鮮度と美味しさを保つことができます。このCASシステムを全国自治体の中でいち早く導入し、季節を問わず、首都圏の外食チェーン・百貨店・スーパー、海外も中国上海、アメリカへの輸出も始まり販路を広げています。
出典:http://www.town.ama.shimane.jp/tokusan.html#fukugi
そして、今回の視察の目玉のひとつ。アテンドいただいている秋元さんも働いていた「隠岐國学習センター」。
海士町にある島根県立隠岐島前高校は島前3町村で唯一の高校。過疎化・少子化の影響で平成9年で77人だった入学者が平成20年には28人に激減。全学年1クラスとなり統廃合の危機に直面していました。島前高校がなくなると15歳で島外に出ていかなければならず、家庭においても、子ども1人につき3年間で約450万円という金銭的負担がかかる事になり、人口流出が予想される事態に。高校の存続は島の存続に直結すると捉え、「ピンチは変革と飛躍へのチャンス」という信念で島前高校魅力化プロジェクトを発足しました。
・生徒一人ひとりの夢の実現
・地域の未来をつくる人材の育成
・持続可能な魅力ある学校づくりの推進
どのように具現化されているのでしょうか?その一つが「地域学」。地域学とは、島前地域の抱える少子化や観光、自然環境問題などをテーマに、チームで調査・分析をして解決策を考える選択科目の授業の事です。島前地域の大人の人たちに、その内容を発表して意見交換も行われている。地域学を通して、生徒たちは自分たちで課題や問題を解決していく思考力が育ち、行動に実行することで、地域活性化につながっているのです。
そして、島前高校の生徒をバックアップする環境も素晴らしいです。学校と連携した公立の塾「隠岐國学習センター」があることも大きな一つ。
生徒は学習センターに通い、勉強だけではなく、将来のビジョン、自らの夢と地域の未来を結びつけて考え、地域や社会に貢献していく、そんなキャリア教育をやっているのです。このように、学力だけではなく、地域に貢献していくことを考え行動することで人間力を高めています。
また、Skypeなどweb環境を有効活用し、島外の講師や生徒・学校とも交流を行っています。写真はコーディネーターの中山隆さん。中山さんは宮崎出身。現在は島前高校の職員室に席を設け、高校の授業のバックアップなども行なっており、島前高校の先生と学習センターの講師の交流や意見交換も積極的に行われているそうです。
少子化で生徒数が減り続いていた島前高校。入学志願者数も、島前高校魅力化プロジェクトを実施してから、平成20年度は27名だったのに対し、平成21年からは生徒数が増えV字回復。
平成24年度から1学級から2学級に増え、関東や関西などの見学からの志願者も含め59名と倍増して島外から23名が入学しています。「ようこそ 島留学」というコピーで島外からの留学生を募集。生徒は、海士町との交流を通じ環境の素晴らしさを実感、生徒の両親は海士町の教育の取り組みに共感して子どもの成長を願い海士町へ留学させる。そんな島外の方へ海士町の魅力が伝わり、広がり、島留学を望む子ども達が増えています。
隠岐國学習センターのスタッフのみなさんも海士町外からのIターン移住者。
この島前高校魅力化プロジェクトの取り組みが評価され、島前高校として「キャリア教育推進連携表彰(文科省・経産省)」、「第1回プラチナ大賞」、「総務大臣賞」などを受賞し、文部科学省のスーパーグローバルハイスクール指定校に指定され、隠岐國学習センターとしては「第2回朝日みらい教育賞」「地域情報化大賞2015アドバイザー賞」を受賞しています。
島の玄関口菱浦港に、「承久海道キンニャモニャセンター」を設立。海士町を訪れる人が必ず通るこの場所に観光案内所、レストラン、物産や魚介を売る店を集約。町役場の3つのセクションも移転。誰が獲ってきたものが、誰が作ったものがどれだけ売れるのかも職員が把握し、町の実態を現場で確認している。
地域ICT利活用モデル構築事業(H19〜21年)による映像配信システムの展開。都内の居酒屋、オイスターバーなど取引先にディスプレイを設置。作り手側のこだわり情報などを臨場感で伝えブランド力を高めている。また、地域情報通信基盤整備推進交付金事業による情報通信インフラを整備。町内全域に光ケーブルのサービス開始。地域公共ネットワーク等強じん化事業として避難所や公表施設等町内24ヶ所にWiFi環境を構築。
平成16年に「海士町子育て支援条例」制定。財源は、職員給与カット分5%を充当。・結婚祝い金(1カップル5万円の助成 ・出産祝い金(1人目10万円、2人目20万円、3人目50万円、4人目以上100万円) ・出産準備金(10万円) ・不妊治療のための交通費助成(30万円限度) ・18歳以下の精密検査のための交通費助成 ・保育料は第3子以降無料 ・転入児童奨励金5万円 ・乳幼児医療適用範囲拡大(中学校卒業まで) ・頑張る子ども応援事業補助金(小・中・高生へ島外遠征費1人1万円)
一行は、海士町役場にも訪問させていただきました。
迎え入れてくれたのは・・・何と!現町長と副町長のおふたり。こちらが、大江和彦町長。平成30年5月の町長選で当選。役場出身であり、山内前町長時代には産業課課長を務めていらっしゃいました。
そして、こちらが吉元操副町長。吉元副町長も役場出身で大江町長と同期。
おふたりは山内前町長が16年間実行してきた主要な施策は現在も実行しつつ「心ひとつに!みんなでしゃばる(引っ張る)島づくり」、「自立・挑戦・交流 × 継承・団結」を理念として掲げ町政を担っていらっしゃいます。
現在、島外出身者のIターンは約200名。移住者向けの町営住宅も足りないくらいと話されていました。
「よそ者こそ活性化の原動力」。山内前町長のやってきた良いところを継承しつつ、「今までと変わらず、やれることを着実に進めていくだけ。」地域と人、海士町とよそ者の連携を行い、魅力づくりを継続していく必要があると話されていました。
海士町への移住者が多い理由がよく分かりました。限られた時間で、限られた方にしかお話を伺うことはできませんでしたが、「人と自然が大好きで、独力でチャレンジし、魅力を生み出す人」が多い印象です。
海士町からいただいた資料を拝見すると、428世帯、624人のIターン者が海士町に定住。北海道8世帯、東北9世帯、関東115世帯、東海18世帯、甲信越・北陸9世帯、近畿100世帯、中国125世帯、九州・沖縄33世帯、外国3世帯。総人口では増えていないみたいですが、活力人口が増え、人口構成のバランスが良くなっているとのこと。町外の若者は活躍のステージを求めており、海士町は「やる気」と「スキル」のある若者を求めている。それがうまく融合して島の新しい力に発展し、移住する若者は、アテンドしてくれた秋元さんをはじめ、みんな高学歴でキャリアを合わせていることも特徴的。
まさに、「若者・よそ者・馬鹿者が島興しの原動力になっている」。
秋田県も少子高齢化。移住定住の予算はしっかりと組んでいるものの、魅力あるプロジェクトは少なく感じます。各市町村はもちろん、中小企業の経営する方ももっと勉強し、活かせることは真似てでも実行しなければならないと感じました。
どうでしょうか?できない言い訳をする時間があるのなら、できる方法を見つけ、実行することで、創造力ある仕事ができ、よりよい人づくり、街づくりへと繋がっていくと思いました。
コーディネイターの秋元 悠史(あきもと ゆうし)さんからもコメントをいただきました。
秋元さん:久々の来訪でしたが、顔なじみの人たちと再会でき、嬉しさと懐かしさで胸がいっぱいになりました。その一方で、僕が島を離れて2年半ほどの間にも新しい取り組みが次々と展開されているのは、さすが海士町ですね。いつか、どんな形であれこの島に恩返しをしたいですし、海士町で学んだことを秋田にも還元したいと改めて思いました。
本当に素晴らしい時間をコーディネートしていただき、ありがとうございました。
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